2018-01-01 11:11 | カテゴリ:【お知らせ】
ブログ訪問ありがとうございます。
拍手ボタンも感謝です。

私はこれまで様々な出来事を記事にしてきました。
改めて読み返す時、一記事だけでは想いを伝えきれないことを知りました。

「双子」「マイホーム」「懸賞」等を主に綴ってきたブログですが、                                         2013年から「軽度の学習障害」「LD」「視知覚」についての記事も増えました。

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私は、他の方が綴るブログからの情報に励まされ、育児に生かしてきました。
人生が大きく変わりました。
そのブログを通し、沢山の友人が出来ました。交流を深めることが出来ました。
娘の軽度の学習障害を疑い出した時、書籍購入と同時に行ったことはネットからの情報収集でした。
口コミサイトで発言された保護者の切実な悩み想いを読みました。

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ブログを綴る理由は、沢山の方に、「軽度の学習障害」を知ってもらいたい、真の情報を発信したい。そんな想いからです。

友人に近況を知らせたい、そんな理由もあります。


時間を割き、文章を推敲・画像処理をする、この費やす作業の意義を問われたことがあります。



それでも綴りたい想いがあります。




私の周りには、お母さん、子ども、家族、過酷な運命を歩むことになった方達がいます。ここには綴りきれない方がいます。


こうしてブログを綴ること、様々な場所へ出向くこと、発言することは、伝えたい「今」の想いです。




大切な我が子がランドセルを背負う姿。
愛おしいその姿を見ることなく、病と闘い旅立ったお母さんがいます。
育児日記には、我が子への愛情、大切な家族への想いが綴られていました。
彼女は、沢山の保護者、お子さん、ご近所さんへ明るく優しく接していました。
残された家族は、その皆さんに支えられ、見守られながら生きています。



生後三か月で、初めて生まれた我が子の眼球を摘出する選択をしたお母さんがいます。
彼女は私がもっとも尊敬する友人です。私は何度も彼女に支え励まされてきました。
彼女から頼られたことは、2度しか記憶していません。
簡単に答えが出ない2度目の問いかけは、命の選択でした。
それは、生きること、育てること、自立させることを問いかける、そんな選択でもありました。
今も、病と隣り合わせではありますが、お母さんの頑張る姿を傍で感じ、生きてきた子ども達は絶対大丈夫と信じています。



毎日成長する我が子をブログに綴っていた双子のお母さんは、子どもの怪我からの疾患で幼児虐待を疑われ、子どもが保護され1年間別々に暮らすことになった事実があります。すぐに連絡を取った私は、様々な方法を提案しました。
彼女の想い、もし私が同じ立場になったら、突きつけられた現実に動揺しました。
あれから数年。このブログにリンクをさせていません。
今は、彼女のブログを見守っています。手を差し伸べる事だけが全てではないことを学びました。



ブログを通して知り合った同じ双子ちゃんの1人は白血病になりました。同じ様に白血病になり、当時10万人に1人と言われた兄を持つ私は、彼女へ連絡を取りました。何か出来る事、昔の情報を母にも聴き彼女へ伝えました。
まだ幼い我が子に襲い掛かる。
代われるものなら自分が代わりたい、彼女はそう何度も想ったはず。
命と向き合う日々を乗り越え、今、双子ちゃん達は元気に登校しています。



私は不妊治療をして我が子を授かりました。
この授かる治療は、私に相当なダメージを与えました。
まだまだ初期段階の治療にもかかわらず、もう続けることはできませんでした。
オットとは、最後にしようと決めて授かったのがフタゴ達です。

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子どものいない人生を選択肢に入れました。
養子を育てる考えも持ちました。


妊娠期間中は、切迫流産・早産で管理入院を経験。出産まで1カ月以上入院しました。絶対安静の妊婦さんとは違い、院内を散歩したり、仲良くなった妊婦さんのお部屋へ、点滴をガラガラ移動させながら遊びに行ける程、順調な?妊婦でした。
もっと長い期間入院し、トイレ以外動いちゃいけない妊婦さんもいました。シャワーは最低限、しかも車いす移動とか。


出血が多かったものの、予定通りの37週と2日で帝王切開によりフタゴ達を出産しました。双胎・子宮筋腫が子宮の入り口付近にあり、自然分娩は出来ないと言われていました。
出産したその日から、母子同室。黄疸治療で1晩光線治療を受けたチビコ以外、問題なしのはずでした。


産後受けた子宮頸ガンの検査で異常を指摘されました。
高度異形成でした。いきなりの3b診断。

それから3か月ごとに検査を受けてきました。
その度に、ガンになっているのでは?
20~40%の確率でガンになる、そうなった時はどんなことになるのかも沢山調べました。

細胞を取る度に綿棒でこするので、病変が無くなる場合もあります。
円錐手術的なものも受けました。

残念ながら1度3aに良くなっただけで、その後も3bが続きました。

担当医師から手術を勧められたわけではありません。

私は不安材料を消したかった。
フタゴ達をしっかり育てる、自立を見届けるその日までは死ぬわけにはいかないそう思いました。
もう兄弟を作ってあげられない、悩みましたが、ガンになるのが怖かったです。
ガンになったその後の情報、実体験を見聞きするれば膨らむ不安。

迷いは一切なく手術を選択しました。
卵巣を残し、子宮・子宮頸管を全摘しました。


術後、子宮の入り口まで高度異形成の病変はありました。


2014年。
術後4年を経った今年、ようやく旭川厚生病院の定期検診から卒業できました。


動く原動力の根源は、これまでの出会いや経験の中にあります。

辛い時、迷う時、支えてくれたのは、その全てです。


生まれてきた瞬間。手術室で初めて対面したフタゴ達。

長い時間をかけて私達の元に来てくれたフタゴ達を全力で守る。


それが、今最優先したい事です。


そして、2人を自立させること。自立へ導くことが親の務めであり義務だと思っています。


同時に自立後の、自分の人生も考えています。

この40代で、思いっきり動きたいそう思っています。

一昨日受けた、人間ドックも問題なしと結果が出ました。


出会う方達のおかげで、何をどうしたいのかが明確になりつつあります。


3年前から抱いていた夢があります。
叶えたい、やりたいことが沢山あります。


そんな想いで日々生きています。過ごしています。





何気ない日常、普通の生活がとても幸せだと感じています。


「日々幸せを感じる気持ち」は、そんな幸せを感じる心を大切にしたいと思う私の日記です。



育児・夫婦・家族の事を、赤裸々に綴っている部分が多くあり、誤解を招くことがあるかもしれません。

ただ、「こういった生き方、こんな夫婦もあるんだ。」と、落ち込まれている時に励まされる方が1人でもいたら、こんなに嬉しいことはありません。


結婚後、育児を通して夫婦で揉めることが多くありました。
育った環境の違いを実感しました。

そして、娘の障害発覚。

離婚を考える程、大変な時期がありました。
一つ一つ向き合い乗り越えてきました。


まだ価値観の違いはあります。


2人が自立するまで、意見の相違は続くでしょう。


どこまで夫婦として向き合えるのか、バツイチ同士(お互い子どものいない)の私達は試されているのかもしれません。




双子を、障害児を育てる事は、簡単ではありません。



でも、受け止め方の違いで、その辛さは大きな喜びにも変わります。


我が子が元気に明るく、幸せを感じられる、そんな日常には、母の笑顔と元気が大切だと実感しています。
だからこそ、子どもの前では涙を見せないと誓いました。
その笑顔が一番好きだから。安心するから。


お会いする方には、戦闘モード全開に感じられるでしょう。

そういったことは、ここに綴られていた経験があるからと、お伝えできたらいいなと思っています。


年明けの寒中見舞いに、このブログアドレスを全て印刷して送付することにしました。
多くの方に「フタゴ達」「軽度の学習障害」を知ってもらうために。


そして、今後は実名でブログを綴る決意をしました。



どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



2014.12.6

ふたごママこと 金谷 三佳



☆追 記☆

一部削除、追加をしています。 2015.9.8
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